家づくりの想い

仁科公司 社長インタビュー「自分が本当にいいと思う家を、顔が見えるお客様に直接届けたい」

自らお客様と向き合い、一級建築士として間取りや性能面の提案、三代目大工として施工や現場監督までこなす仁科社長。

自分が本当にいいと思う家を、顔が見えるお客様に直接届けるため、
千葉市を中心に施工エリアを限定した年間10棟の家づくりを手掛けています。

社長の人柄に惹かれて家づくりをお願いする人も多いという、仁科社長にお話を伺いました。

(インタビュアー/ザ・ハウス 矢野暁)

ー仁科建設さんは社長で三代目とのことですが。

仁科建設は祖父が北海道で創業しました。私も札幌の生まれです。二代目で大工の父が40歳、私が6歳の頃に千葉に越してきました。

北海道では雪が深まる時期になると大工の仕事が減るので、その心配がない地域で仕事がしたいと考えたようです。
千葉にしたのは親戚が住んでいて馴染みがあったから。最初の1年は船橋、それからはずっと千城台で暮らしてます。

仁科建設 外観
仁科建設 模型
ーもう半世紀も千城台でお暮しなのですね。小さい頃はどんなお子さんでしたか?

ものをつくることが好きな子供でしたね。プラモデルで車やお城を作ってコンテストに応募したり、没頭してラジオの分解と組み立てをしているような。

ー小さい頃からものづくりがお好きだったのですね。
それはやはり大工のお父様の影響が大きいのでしょうか。

物心ついた時から父や職人さんの背中を見てきたからかな。中学の卒業アルバムには、将来の夢は「一級建築士」と書いてましたし。

ーもうその頃から進む道がはっきりしていたんですね。

環境が大きいのかな。ごく自然に今の仕事に就いた感じです。

ーお父様の下で修業された時もあまり抵抗感なくこの道に?

高校を卒業してすぐに、父の下で修業をはじめました。
でも父とはよくぶつかりましたよ。反骨心のようなものもあって、外に修業に出ていた時期もあります。

大工の仕事をしながら設計の勉強を続け、25歳の時に二級建築士をとって、仁科建設に戻ってきました。30歳の頃に一級建築士を取得して三代目を継ぎました。

仁科公司社長
仁科建設 無垢材
ー会社を継がれた当時から、今と同じように無垢材の木の家を?

いえ、私が会社を継いだ当時は、新建材を使った家が全盛期だったから。

年間20棟程度の仕事のほとんどは、効率優先で考えられた不動産会社の下請け仕事でした。

ー今とはまったく違う姿ですね。大きく変わるきっかけはあったのですか?

それなりの仕事量はあったのですが、毎日目まぐるしく効率優先で建てる仕事、誰のための家か分からない仕事にやりがいを感じなくなってしまったんです。

私はいい仕事をするためには、誰よりも自分自身が楽しむことが大事だと思っているので。

日に日に「自分が本当にいいと思う家を、顔が見えるお客様に直接届けたい」という気持ちが強くなって、思い切って下請け仕事をやめる決断をしました。 今から15年くらい前のことです。

仁科建設 お客様からの手紙
仁科公司社長
ー社長がものづくりに没頭していた子供の頃につながるお話ですね。

そうかもしれない。今も営業をしている時間があれば、家をつくる時間にあてたいと思ってしまうので、ものづくりが好きなんでしょうね。

ー当時の「自分が本当にいいと思う家を、顔が見えるお客様に直接届けたい」という決断は、今の仁科建設の考え方に深く繋がっているように思います。 仁科社長が「本当にいいと思う家」とはどんな家なのでしょうか?

「いい家」とは言っても、みんなそれぞれ違うでしょうからね…。誰もが一言ではいい表せないもので、感覚的なものなんじゃないかなと思います。

小さい頃に過ごした実家の住み心地、旅行に行った時に「昨日泊まったホテルよりも、何か今日の方がいい感じだよね」みたいに、言葉ではっきりと言い表すのが難しい、 ぼんやりとしたものだと思います。

仁科建設 模型
仁科公司社長
ーなるほど。では「いい家」をつくるためにどんなことを心掛けていらっしゃいますか?

とにかく話をじっくり聞くことです。私の仕事は、その方がぼんやりと思っている「いい家」を形にすることなので。 私とお客様がお互いに共感し合えた時は、自然と会話が盛り上がりますね。そうして時間を掛けて打合せを重ねるうちに、いつの間にか何でも話せる関係になります。

間取りや性能は大事なんですが、一緒に悩んだり、一緒に盛り上がったりした思い出がないと「本当にいい家」とは感じてもらえないような気がします。

そういう人間関係を築ける家づくりが目標です。

太陽と木の家づくり